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ラングドッグ・ルーション

ドマ・ガサック

ワイナリー

この最高の地でギベールさんが造り出したワインは、瞬く間に世界中に知れ渡り、高く評価されました。「ラングドックのグラン・クリュ」と呼ばれ、それまでの“ラングドックワインはブレンド用の安ワイン”というイメージを、大きく覆したほどです。息子さんたちに世代交代しつつある今日も、常に品質アップを追及し続けている偉大なワイナリーです。

産地の特徴
ラングドック地方の学生都市モンペリエから西方へ行ったところにあるアニアンヌ村の、山の中腹に位置しています。畑の環境の素晴らしさは、地質調査によるお墨付き。土壌、気候、標高、風通しなど、すべてにおいて理想的な条件が整っている場所です。

<忍耐>

モンド・ヴィーノの映画の中で、エメ・ギベール・ド・ラ・ヴェシエールは、ワイン醸造家を嫌っているかのように描かれているが、実はそうではない。現に、彼のワインが現在の姿であるのには、様々な理由があるのだが、その中でも最も大きな要因は、醸造家エミール・ペイノー氏に因るものであろう。同氏は近年他界したが、ボルドーの醸造家の中でも、最も著名であり、最も尊敬された人物であった。彼がいたおかげで、エメ・ギベールの心の中に、このラングドックの地において、それまで存在し得なかったワイナリーを創設しようという意欲が生まれたのだ。エメは“ルヴュ・デ・ゾノローグ”という醸造学の専門誌の中で、以下のように語っている。「私の家系は、長い間ずっと皮職人を営んできたのだが、当時その職業はすでに衰退し始めており、苦悩が絶えなかった。しかし、エミール・ペイノー氏と出会えたおかげで、私はその苦悩から解放され、新たなパッションを持つことができた。1978年9月末、同氏は私のような新米に、単なる“意見”をしてくれたのではなく、巨大な夢を持たせてくれた。さらにはその夢を実現するための熱い計画を立ててくれたのだ」エメを知っている者として、私はこのくだりを書きながら、彼のきらきら輝く目と、時には感情的に熱くなりやすい性格を想像せずにはいられない。

しかしその後も簡単にはいかなかった。フランスではちょうど、五月革命期の始まりにあたるこの頃、彼の妻であるヴェロニックが、(ちなみに彼女はケルト民族文化の専門家で、アイルランドに頻繁に出かけるのだが)アニアンヌ村のサン・ブノワにある古い土地の売買契約書にサインをした。2人とも、そこに家を建て、住居にしようと考えていた。エメは、もともと庭仕事が得意であったこともあり、家の周りにオリーブやトウモロコシ、それに少しだけブドウの木を植えようと思っていたのだが、それはただ食べるためのブドウであり、ワイン造りは考えていなかった。どの栽培に力を入れてやっていこうか、迷った彼は、優れた地理学者であり、地質学者でもあるアンリ・アンジャルベール氏に意見を求めた。そして同氏の調査が行われ、その結果、エメたちが手に入れた土地には、グラン・クリュ・ワインを産出する潜在力があるということが分かった。

その後、すでに書いたようなエミール・ペイノー氏との出会いがあり、その教えを受けながらワイン造りをスタートさせることとなる。そして、初ヴィンテージであるワインを醸造していた時、エミール・ペイノー氏からエメに1通の手紙が書かれている。これは師匠としてドマ・ガサックを指導することを、正式に承諾する旨を通知するものであり、この手紙がドマ・ガサックのワイナリーとしての運命を確実なものとした。それは以下のような内容である。「まず、定期的に来ることは求めないでほしい。それから、私に一切お金の話をしてはならない。なぜなら今回は、個人的にもドマ・ガサックに大いに期待しているからだ。私は今まで、自分の生涯を通じて、グラン・ヴァンを確立しようと、色々な生産者に助言を与えてきた。しかし今回は、これまでにないようなワインが生まれるかもしれないという可能性を感じているのだ!」

ラングドックにおいて、グラン・クリュの模範となり得るものは、ドマ・ガサックをおいて他にないと言い切ってしまっても構わないであろう。というのもここには、一流になるために欠かせない大切な3つの要素が揃っているからである。まず1つめは、テロワールがしっかりと理解され、自然を最も尊重した上で手入れが施されているということ。2つめは、神秘的なところにまで到達するほど、自分自身に対して厳格であるエメ・ギベールという人物。そして3つめに、まだ40歳ではあったが、それだけの年季が入った価値の重い過去があった。

エメ・ギベールは、多くのワイン・テイスターを前に、おびただしい数のヴィンテージを並べることのできる唯一の造り手であると言える。また、一流専門誌に、これほど抒情的な表現をさせるのも、ラングドックでは彼だけであろう。「ラトゥールのようだ」と言うのはロンドン・タイムズ誌であり、ゴー・ミヨー誌は「ラフィットのようだ」と評価する。数々の苦難に耐えてきた古いブドウの株のように、この小さな男は痩せているのだが芯が非常に強く、心は真っ直ぐで、どんな時も忍耐強く、するどい眼光で状況を見渡している。またどんな相手に対しても、口頭弁論のような激しく真剣な面持ちで、ワインや土壌のことを熱く語る。そのとき彼は、赤褐色の土をひとつまみして見せる。土が彼の真実なのである。これは彼のせいではないと言いたいわけではない。彼が作成した蔵の紹介文を読めば、彼のワインがどれほどまでに偉大で特別であり、広大なものであるか、またそれぞれのヴィンテージがいかにまぶしく、尊重されたものであるか、そしてそのテロワールが、魔力を宿しているのかと疑ってしまうほどすばらしいということが分かっていただけるであろう。昔の収穫や、クローン以前のブドウ品種や、千年貯蔵庫について話す時も、彼は興奮を抑えられない様子だ。しかし、それと同時に、彼は自分の体に染み付いた自らの信条を糧に突き進む。その信条とは?「そうとも、ブドウ畑なのだ!」

もっとも、あまり話をこの方向に持って行かない方がいい。なぜなら彼は、ブドウ畑のこととなると、何時間も延々と語り続けて止まらないのだ…。そして挙句の果てに彼は、現在の多くのブドウ栽培家たちについて、嘆き始める。「この地方にしても、他の地方にしても、もっと多くの生産者たちが、バカンスの計画や、今度買う新しい車のことを考えるその情熱とエネルギーを、あともう少しワインの品質向上に傾けてくれたら、彼らのワインはもっと生きてくるというのに!もっともそのせいでワインの景気が下がっているから、この調子でいくと、彼らも遊んでばかりはいられない状況になるだろうけどね!」かく言うエメも、80歳を超え、少し歩調を緩めることを決心した。息子が5人もいて、長男であり、ニュージーランドでの5年間の経験を持つサミュエルと、次男であるロマンが後を継ぐことが決まったからである。また、ドマ・ガサックというグラン・クリュの影には、ムーラン・ド・ガサックという名で行っているネゴシアンの部分も忘れてはならない。これは、特にヴィルヴェイヤックとポーランの農業組合のワインを取り扱っており、ブドウ品種別ワインとブレンドワインがあって、どれも気軽に飲める。これらはどちらかというと、旧世界とは対照的な、ニューワールドタイプのワインだが、時には矛盾の中に良い面もあるということだ。

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